上巳の節句 桃の節句

「天児(あまがつ)」と「這子(ほうこ)」という人形のジャンルについて。

「天児」(あまがつ)
「這子(ほうこ)」

これはともに、幼児の病気や厄災を祓い健やかな成長を祈る、祓の人形です。

 御節句のお人形というよりは伝統文化・伝統工芸という感じがします。
どの人形屋にも置いているということもなく、ネットで購入できるかと思えばそうでもなく、
現代においては一般に入手しやすい物では無いようです。

 私も80年以上の歴史がある人形店で10年以上働いていますが、購入希望者にお会いしたことはなく、新たに仕入れるといった機会にも立ち会っていません。御節句の仕事をしていても、自身から望まなければ知ったり学んだりすることはありません。

 ですので、この天児と這子について、分かりやすくまとめて理解しようと思いました。この衰退し消えゆく一つの文化について、興味のある方の参考になればと思います。

※「天児」(あまがつ)「這子(ほうこ)」をそれぞれ別々の記事にしようとも思いましたが、役割や歴史をみていくと一緒にしたほうが分かりやすいかなとおもって書いています。

天児のすがた形

姿は「丁字」「T字」型。
当初は衣装はありませんでしたが、次第に着物のようなものを着せる形になっています。
着物は白い絹を使うとあります。厄災や穢れの無い状態を意味しているのだと思います。

天児は幼児を災厄から守る形代(かたしろ)(身代わり)として宮中に伝えられ、江戸時代には上級の武家にも広まりました。頭部は絹に皺を寄せて包んだかたちで、長寿の願いが込められています。身体は丁字形に丸木を組んでおり、本作の場合は麻の帷子(かたびら)をまとっています。
文化遺産オンラインより
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/533523/1

這子のすがた形

以下の写真は立たせていますが、ハイハイ(這い這い)をしている状態を表しているとされ、実際にうつ伏せになっている赤子の人形が一般的です。

四角く裁断(さいだん)した絹を四方から縫い閉じていき、中に絹綿(きぬわた)をつめて身体としています。その素朴な姿は「這(は)い這(は)い」をする幼児をかたどっており、古くは四つん這いに置かれたため這子(ほうこ)と呼ばれます。天児(あまがつ)と同じく、幼児を守る形代(かたしろ)のお人形です。 
文化遺産オンラインより
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/413158/2

天児と這子の現在の役割

御節句・雛祭りにだけ飾るという雛人形とは違って、常に置くお守りです。
また、雛人形・五月人形とは違って性別問わずに用意されるものでした。

天児の使われ方

乳幼児の御守りとして枕元に置きました。
赤ちゃんへの病気や厄災を、この人形が代わりに負わせる「形代(かたしろ)」という日本の文化の一つです。
また、何時まで飾るといった期限が定めていることもありませんので、ある程度成長し、幼児が子供になって健康な体が作られたら使わなくなったのだと考えられますが、
雛人形の脇役としてその後も雛祭りの彩りに花を添えることも良いと思います。

這子の使われ方

天児同様、乳幼児の御守りです。こちらもやはり枕元に飾りました。
絹で作ってあることから、肌さわりも良く気持ちがいいと想像できますので、赤ちゃんが遊んだりしていたことも考えられます。
乳児が幼児になって歩くようになってからも3歳までは持ち歩くようにするなどしています。
これも天児と同じく形代として使われます。
時代が下がると雛段にも飾られ、子供の遊び人形としても親しまれ、縫いぐるみ(ぬいぐるみ)として伝わります。

天児と這子の歴史

こうしてみると同じ役割を持った二つの人形ですが、様々なサイトでその歴史や成り立ちの説明を比較すると複数の内容があることから、それらをシンプルにまとめてみたいと思います。

そもそも雛人形の始まりとして、幼児を病気・災いから守る天児と這子とする説

人形のルーツから妥当性のある説であり、おおむねこの説が定説とされています。

日本の文化として、「人形(ひとがた)」に厄・災い・穢れを移し身代わりとする考え方があります。
この考えはずーっと根本にあるという前提で話は進みます。

1,昔々、大陸の文化が日本へやってくる頃、紙や草で人の形をした「人形(ひとがた)」を作り、それを自身の身代わりとして川に流す文化が生まれます。「厄払い」です。
2,その後、この人形に厄を移すという行為を、子供・赤ちゃんに対してもおこないます。
 →つまり、赤ちゃんに変装したぬいぐるみが、今後この赤ちゃんに向かってくる厄災を、「盾」となって受けることを期待するという事。
 
3,だれがこのようなことをしていたかについては複数の考えがあるようです。
たとえば、

どちらも平安時代の貴族の間に広まりました。

と記載のあるサイトもあれば、

「天児」は天皇家のお子様、「這子」一般の家庭で使われていた。

と記してあるサイトもあります。
それとは別に、平安時代、貴族階級において一般化されておりその後、貴族と一般階級において別れたという考えもあります。

過去をさかのぼって確認する資料が複数ありどれも決定的な記載ということもない・資料の権威性が低い等の場合は、どれもが可能性の話になってしまいますが、そういう事なのかもしれません。

ただ、

生まれた赤ちゃんが無事に成長するように、厄受けの御守りを作ったんだ

という事は間違いないという事でしょう。

※また、この二つはその形から天児のほうは男雛になり這子は女雛となって、一対の雛人形となったといういわれもになります。

現代における位置づけ

個人的には、現代においての特定の知識層における伝統的な信仰の一つと考えられます。
赤ちゃんが生まれたから天児や這子買おうと思う人はごく稀にいるかもしれません。
しかし、天児や這子を買おうと思う文化や風習・習慣はすでに一般大衆にはありません。

ですから、一般的な知識としては広まっていない→ほぼ伝えられない文化になりつつあります。
良い悪いは別として、この世のすべての習わしや文化がすべからく継承されていくということはありません。

庶民の実生活になじまなくなったものは民間社会では伝わらなくなっていきますが、その一つと考えます。
日本の文化としては記録も残っていますし一部の社会層では伝えられ、今後も商業的な生産ではなく、芸術的な作品として作られることもあるでしょう。

今現在も、作られているのかは不明です。
たとえば、もうずいぶん前に作られなくなっているが、在庫が相応にあるのでそれを売っている。
そして、今後も在庫がなくなるには相当の期間がかかるというような状況かもしれません。

ずいぶんとネガティブに聞こえるかもしれませんが、そういう意味ではなく単純に
「昔こういうのがあってね」
というだけの話で、それは私たち人形屋だけが伝え聞いていける事なのですね。