上巳の節句 桃の節句

雛人形を引き継ぐという考え・価値観

結論から言いますと、雛人形は引き継ぐものではありません。
これが、雛人形制作に携わる全ての職業の共通している価値観です。

 雛人形の源流は「流し雛」だといわれています。紙で作った人型に厄災を乗せて水に流すことで禊とする考えであり、日本古来からある日本らしい考え方です。そういった考えにより、お守りや厄受という位置づけの「雛人形」は誰かにあげるものではないという価値観です。

 実際に、御守りというものは使いまわしはせずに、古い御守りは神社仏閣に返します。厄を受け、穢れをもったお御守りを人にあげるということは、厄まで送り付けるということになるのです。

 本当は、人形屋がお客様にそう言う説明をするのは抵抗があるのです。
なぜなら、誰しもが「新しい人形を買わせたいだけでしょう」と思うからです。
しかし、雛人形の販売する以上、引き継ぐものではないと言わなくてはいけないのです。

 新しく生まれた子には、新し御守りを用意するのが日本的な価値観であるはずです。
今のたくさんの商品・作品をみていると、金額や大きさという問題についてはどのようにも解決ができる問題になっています。

では、工芸品としての価値はどうでしょうか。

工芸品としての継承

 今でも名家では古くから伝わる雛人形が飾られているところがあります。お客さんを入れて展示をしたり、美術館などで展示しているものもあります。これらは、数多く作られた雛人形のなかでも、特に技や素材が惜しみなく注がれた美術品というにふさわしい物です。

 人形にはまさに念がこめられたようであり、衣装にも上等の生地が贅沢に使われ、あしらわれたお道具には金箔や蒔絵、漆、螺鈿細工や象嵌細工、様々な技法が見て取れます。

 そして、これらは新しく生まれた子供のお守り・身代わり・厄受けとして継承していません。
家宝であったり文化財であったり鑑賞用とした目的で大切に手入れされてきているのです。
このような継承や保存は、人形の文化のみならず日本の文化保存という意味からもとても大切なことでしょう。

御守り、厄受けとしての継承

 多くの方が一般的だと考えているのが、実家の雛人形を子供用にもらう行為です。
だれに聞いたのかこれが当たり前だと考えている人もいます。
いえ、この場合は誰に聞いたものでもなく、たぶんそうだろうという感覚なのだと思います。

 この行為は立場や意識が変わると急に「不快」な感情が生まれます。
たとえば、妻の雛人形を実家から持ってきて飾るというのは特に嫌な感情はうまれませんが

  1. 主人の母親に「(主人の)姉に小さいころ買った雛人形があるから持っていきなさい」と言われた。
  2. 妻の親戚が、「うちの子はもう高校生で使わないからどうぞ」と従妹にあたる子の雛人形をもってきた。
  3. 「大切にされていなかった」という雰囲気がわかるような見た目の雛人形を譲られる。
  4. 髪もはげかかっており、衣装もシミがあるが、新しく買うより安いからとなんとか修理しようとする。
  5. 購入時に奮発したため何としてでも貰ってもらいたいのか、賃貸のアパートでは大きすぎて豪華すぎる段飾りをもらうように強く推してくる。

などなど、例を挙げればきりがありません。

 これらは、実家や寄贈者の「押しつけ」というのが本質なのです。
実家に邪魔であったり、「せっかくだから」という理由であったり、当時張り込んで買ったのに数回しか飾っていないという思いが誰かが使ってくれることで報われると思っていたり、恩着せがましく迷惑を押し付けてくるのことがあります。
これらの多くの場合、送り主は貰う側の本心をくみとってはくれません。
少しでも貰うことに抵抗があるならば、なんとかして回避しなければ、毎年飾る事が苦になってしまいます。

 しかし中には、「貰いたい」という思いがある人もいるでしょう。
自分のお雛様がとても好きで、ぜひ、自分の娘にも引き継がせたい、使いたいという思いの人もいるでしょう。
どうすればよいでしょうか。

御守り、厄受けとしての継承

 結論からいうと、「厄を払う」という行為を行うことで、雛人形が最初の状態である空の器にもどります。
これは日本的という解釈でもあるし、宗教的、仏教的な解釈かもしれません。
お墓も魂を抜いたり入れたりしますが、雛人形の場合も同じような解釈がされます。

 魂や「芯」という考え方のものをお祓いをして人形から「抜く」という「芯抜き(しんぬき)」をすることで、
まっさらな状態として御守りとして引渡すということになります。

 そしてこの「芯抜き」ですが、人形の扱いや知識があまり無いお寺さんでは知らないところが多いと思いますが、上記のことを説明し「厄を払う」という意味合いでお願いすれば、大体のお寺は「ああなるほど。そういうことであればしますよ」と言ってくれるものです。費用も5千円くらいですむでしょう。

 芯抜きという方法はそれほどメジャーではありませんが、埼玉県鴻巣市のマル武人形さんのお話や、京都の人形寺である「宝鏡寺」のお話を聞いたうえでこのご案内をしている人形屋さんやお寺さんもあるようです。

まとめ ~個人的見解を含む~

 しかし、個人的にはこんなことをしてまで初節句のお祝い・雛祭りをする必要があるのかなと思います。
雛人形を買うという事にこだわっていなくて、雛人形が無いまま初節句をお祝いする家庭も多いです。
そもそも、初節句のお祝いという事を取り立ててしていない家庭の方もあるでしょう。
そう考えると、この「芯抜き」までして雛人形を送るという行為がちょっと無理やりな気がします。

 送る側(つまり用意する方、雛人形を買う方)が、雛人形は用意しなきゃならないと思っていても、新しく買うお金はもったいないと考えているのではないでしょうか。
 おそらく雛人形を購入するお金が無いわけではないのです。しかし、相手側の両親などの親戚に対する目が気になる方もおられます。
購入するとなると、ある程度の品を用意しないと相手の親御さんに対して気が引ける場合もあるでしょう。しかしながら、ある程度の品の金額を出すのはもったいないという気持ちもあると思うのです。そういう場合、この芯抜きという方法はとても魅力的であるかもしれません。
 
 ただ、こういう方も、実際店頭で新しい雛人形を見て知見のあるスタッフが丁寧な説明をするとやっぱり新しいのを用意したいと思いなおして購入に至るケースが多いです。

個人的には、古い雛人形を「芯抜き」して贈ることは、貰う側がかわいそうだなと思ってしまいます。
我が子に新しい雛人形ではなく、古い雛人形を持ってこられて、皆が嬉しいでしょうか。
お嫁さんが「おかあさん、ありがとうございます」と本音で言っているでしょうか。

 また、母になった方が、実家から自分のお雛様を持ってきて、赤ちゃんの雛人形として扱う方もいます。
昔からとても気に入っていて…と言う方も多いですが、雛人形の文化的には、「それはあなたの厄まみれの御守りであり、生まれたてのまっさらな赤ちゃんを近づけるべきではない」という事になります。
 そのお雛様はこれまでお母さんを一生懸命まもってきました。もう休ませてあげてもよいのではないでしょうか。
新しい赤ちゃんの雛人形を買い、雛祭りには一緒に飾ってあげると良いのです。お母さんのものはお母さんのもの、赤ちゃんの物は赤ちゃんのものとして飾ると子供は喜びます。

 ミニマルな生活を送ることが良い現代において、年に一回出す雛人形にコストをかけることは一見無駄に感じるかもしれません。しかし、雛人形という日本の文化の象徴が毎年飾られることで子供が得ることはとても大きく、お金では測れない部分があることは確かだと思います。